言い訳

ブログを開設するのは何度目だろう。ブログ、SNS、個人HPなど形を変えながらかれこれ10年以上インターネット上に居場所を作っている。おかげでブラインドタッチができるようになった。あまり役に立ってない。昔のアカウントのいくつかはきっと電子の海を漂っている。不安。

 特に友達もいないのにこういうものを辞められないのは、簡単に承認欲求を満たせるから。それ以上も以下もない。わたしはいつだって誰かに認めてもらいたい。誰だってそうだ。

最近精神を病んでいて自分の心と向き合うことが多いのだけど、わたしのその気持ちがいかに自分を殺していたかということに初めて気づく。取り繕っていることに全く気づかず、自分の意思を持たない人間になってしまっていたみたいだ。取り繕ろうことに疲れてはある日突然大爆発を起こして、周りの人を動揺させることを繰り返してきた。それはとても空虚な気持ち。

「人によく思われるとうれしい」が「人によく思われなくてはいけない」と思うようになり、「人によく思われなくては、わたしの存在の意味がない」と思うようになっていたらしい。23年間無自覚だったというのが恐ろしい。でも思い当たる節はたくさんあって、何より嫌われることが怖くて拠り所を見つけては依存し、学校生活も人間関係も続かず、問題行動を起こしては愛情を試すようなことをして、でもふと立ち止まると自分がなにをどうしたいのか分からない空しさ。ボーダーの典型ですほんとう。それでも年齢と共に環境も変わって落ち着いてきたように感じるので、今回こうして心と向き合うのはいい機会だと思えている。このまま人生を歩むのはあまりに絶望的だ。

こんなことに気づかせてくれたのが今の主治医なので、とても感謝してる。死ぬまで診てほしい。彼女(女医さん)は「医者は病気を治せないけど、わたしは治す手伝いをする」と言っていて、はじめは理解できなかったけれど今はよく理解しているつもりだ。でも超しんどい。眠剤抗不安薬もくれないので、ほんとう衰弱する。幸いわたしは今自殺願望は強くないし、解離もないし、家族も理解してくれているからなんとかなっているけど、死にたいMAXでこんなことされたらとても耐えられないだろうと思う。そして昔のわたしだったらまったく理解できなかった。なんて言いながら耐えられず市販薬乱用したりしていたけど。

ぜんぶ受け入れること、認めること、寄り添うこと らしい。

 うつ状態が少しよくなって、時間を持て余すことがたまにある。少しでも頭を使う練習になったらいい。これを書くにも集中力が持たず1時間半以上かかってしまった。

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