2015年を振り返る。

自分の中で毎年恒例なので今年はここで。

【一月】一日の夜に熱を出して正月早々インフルエンザで寝込む。初売りに役立たずでヒンシュク。復帰後躁っぽくなり小さな買い物をたくさんした気が。鼻水咳痰が続いて、一ヶ月以上鼻から口から蟹味噌のようなものを出し続けてた。その間禁煙するも二月にはスリップ。

【二月】好きな人と二回もデートした。十ヶ月ぶり。とても楽しかった。髪型が同じになっていておどろいた。なぜかバドミントンをして惨敗。マインクラフトを一緒にいながらマルチプレイできたのが最高にうれしかった。

【三月】初ネイルサロンが不満の残る結果に。仕事がただでさえ忙しいのに更に忙しくなる

【四月】仕事がクソ忙しくて毎日日が変わってから帰ってた気が。エナジードリンク常飲、心身ともに疲弊。この頃からちょっとおかしかったかも。ジェルネイルキットを買って「二度とネイルサロンなんて行かねえ」と思う。

【五月】だいぶ鬱思考。仕事に未来の希望など持てないが、誰かの尻拭いでくたびれるくらいだったら全て自分の責任になったほうが楽なのでは、などと考える。親知らずが腫れる。生理痛がひどくなる。ジェルネイルを楽しむ。

【六月】ここ数年なじみの婦人科に通う。ついでに人生初のアレルギー検査をして犬猫ハウスダストカビ蛾アレルギーが判明する。眠れなくなる。スプラトゥーンやりたいとばかり言う。ダニエルウエリントンを買う。

【七月】レスタミンに手を出す。すぐに量が増えていく。メンヘラに傾いていることに焦る。ブロンにも手を出す。

【八月】通ってた婦人科(心療内科もやっている今の主治医の病院)で「眠れないです」と言ったとたん診察室で決壊。言われるがままに休職する。何をしたらいいか分からず映画やコミックをよくレンタルする。ツイッターで後書アカウントを作る。色んな罪悪感で余計鬱になる。コンタックに手を出す。親知らずを抜く。

【九月】早く良くならなくてはという思いからプールに行き始めるも、あまり気が向かず足も向かず。毎日過剰服薬する。ボダ発揮してレスタミン一瓶飲み干し好きな人を怒らせ心配させる。親にもバレて以来禁薬しようとする。親知らずを抜く。黄体期にドバドバ不正出血し始める。

【十月】「誰のための禁薬なのか分からない」と思い、すぐ過剰服薬の日々に戻る。しょっちゅう泣きながら起きる。薬飲みすぎて救急行く。また親や病院に禁薬を宣言するも止める気はなく、処方薬に手を出し始める。結果減薬にはなる。自律神経を本格的にぶっ壊して、外出や運転などできない状態に。不正出血ドバドバ。

【十一月】一番落ち込んでたかも?酒が増えて加減が分からず吐くまで飲む。お金に困る。マイラリを楽しむ。自律神経相変わらず、現実味が無い毎日を過ごす。こうなる理由を「働いていないからだ」と思い働く働く言い始めるも、主治医に「ありえない」と言われまた鬱になる。

【十二月】腎臓を壊し一週間起き上がれず、さすがに薬に懲りはじめて禁薬。ついでに酒煙草も止める。体調が良くなると共に、色んなわだかまりがちょっとほどけてきているのを実感する。気付けばめまい、離人感や閉眼幻覚もマシになっている。このまま良くなるといいのだけど。

 全然覚えてなくて日記やツイッターを見返して書いたけど、酷い一年。7月からの薬薬薬は書いてて笑ったほんとうに。今飲んでないから笑えるのだろうけど、頭おかしい。でもまたいつこうなるかわかんないし、すぐなるかも。体調崩してばかりだったな、主治医にはとてもお世話になった。こんなに他人に「世話になった」と思うのは初めて。来年に期待はあまりできないけど、今年より健康だったらいいな。

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キャットスープ

ねこぢる草を見てから眠ったら変な夢を見た。わたしは異国の若い男で、身分が高そう。父も身分が高くて王みたいな慕われる存在。なにか暴動が起きてわたしも戦いに参加しようとするのだけど、周りの男の人たちに止められる。指揮をとる父に直接お願いしても「お前はひっこんでろ」と言われて、何か動物の群れに連れて帰された。おしまい。前世退行にハマってたことがあるから「もしや前世!?」と少しドキドキした。でも心に響くものは特に無かったからただの夢かも。アジアっぽい。動物が馬とか四足のものじゃなくて、鳥?ワンピースのカルーみたいなサイズ感だったから、そんなのいるのかな。顔は覚えてなくて、足や身体が妙にリアルで覚えてる。砂埃をあげて走ってた。

輪廻転生だとか、魂、前世、業、目に見えない力というのは信じてる節がある。ここ数ヶ月は特に。そういうことを考えると「生きてる意味があるのでは」と思えるし、信じたいというほうが正しいかも。あとは単に未知のものへの興味。ねこぢる草は目を引く異様さや突飛さがありつつ、精神世界とかこの世の摂理のようなものをとろーんと感じるので、よりいっそうそのようなことへの妄想が捗る。アニメーションとしても心地良かった。特に勉強もしていないし、普通の人間が本当のことを知る術はないから、わたしは誰かが言ってることを信じたり考えたり噛み砕いたり、都合の良いように解釈したいと思う。

眠気とドライアイの区別がつかない。目を閉じていたい。一時的に数時間か数日、片目だけすごく見えなくなることがあるけど、そうなるときはいつも精神的に疲れているときだ。忙しくても疲れるけれど、全く何もしないのも疲れる。こういうときは色々見ないようにするのが良さそう。最近眠る時に目を閉じると身体の輪郭がなくなる。そしてまぶたの裏の模様を眺めてるといい感じ?に瞑想状態のようになってそのまま眠ると気持ち良い。だんだん頭の中がうるさくなってきて眠れないことも多いけど。

こういうことはインターネットでしか書けないな。

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ヒヨコジュース

何時に寝て何時に起きても気にならなくなってきた。どうせ眠くても眠れないし、眠いと思って無くても気がつけば落ちているし、もう抗わない。今はそれが許されるのだし。理想と現実をここまで割り切るのには本当に時間がかかるんだなあ。しかし割り切ってしまうと少し虚しさがある。抵抗を止めるのは諦めるということとは違うの?

クリーンな生活が続いてるけど、体調が戻るにつれて感覚を思い出す。欲しいと思う衝動の強さが、煙草>薬>酒。好きだと思う順はすっかり逆。平穏を崩すほどの我慢はしたくないと思っているのだけど、まだそこまでじゃない。でも人から煙草差し出されたら迷いなくありがたーくいただいちゃいそう。体調はずいぶん良い。年末年始においしいもの食べるくらいはできそう。

東京喰種は相変わらずおもしろい。単行本派なのに本誌の重大なネタバレを聞かされてしまってへこんでいる。3月まで真相を確かめられないままか。漫画を1冊お風呂で読むこと、爪を塗ること、たまにノートに日記を書くことだけは仕事を休み始めてからも続いてる。意味の無いことこそ、今の自分には意味のあることなのでは。

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フォトポリマリゼーション

4月くらいにジェルネイルキットを買った。元々常に何かしら爪を塗っていたくて、今までは頑なにマニキュア派だったけれど、はじめてネイルサロンでジェルネイルをやってもらったらその良さに気付いてしまった。自由度が高くて何よりはがれない!でもはがれないとはいえ、仕事で荒い作業が多いから2週間も経てばボロボロだし、2時間よく知らない人と対面して汗をだくだくかくのも辛いし、高いし、¥5000くらいでライトやその他もろもろ揃ったキットとカラージェル数個を買った。施術1回分以下でこれだけ揃えられるなら良い買い物。こっちの方がいい。

とはいえいざ自分でやってみると手順の多さに混乱する。ヤスリのかけかたひとつも知らなかったし、キューティクルラインを10本分きれいに塗ろうとするだけで気が遠くなる。更にオフにまで時間も技術も必要で、やっぱりプロには全然かなわないなあというのを身を以って知った。アレルギーやカビのリスクもあるし。マニキュアはある程度きれいに塗れる自信があったけど、セルフジェルをやったら今まで何年も続けてきた「爪を塗る」という行為の概念を打ち砕かれてしまった。それでも自分でデザインや色を考えて、月1・2回じっくり自分の爪を塗ったくるのは完全に自己満足の世界に浸れるから、大事にしたい趣味だなと常々思う。1個1個の単価が安いから、いまだに本当に使うのか分からないカラージェルやパーツを買うのをやめられない。もっと顔の化粧や服にお金をかけたほうがいいのは分かってる。

それでもジェルを2週間もつけっぱなしにしているとだいぶ爪が伸びてしまって不便になったり(短い爪が好き)、続けてやってると爪が薄っぺらになってしまうので、やっぱり時折マニキュアは使ってる。マニキュアの方がビンやその行為のビジュアルがずっとかわいいし、乾くまでの時間もそれはそれで醍醐味だなと思うので、マニキュアにはマニキュアの良さがあるというのも実感する。

SNSのネイルアカウントを作るのに憧れているけど、月1・2回の更新じゃなあとためらっているところ。チップだと楽しみがちょっと半減してしまう。資格の勉強もしてみたいけど、色々含めてそこまでの余裕がない。あたためておく。

 

▼はじめてのネイルサロン

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▼はじめてのセルフジェル

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今週のお題「今年買って良かったモノ」

極上のリラクゼーション

リラックスをするのがとても下手だ。いつもなんてことないことを取りとめもなくグルグル考えている。そういうたちなのだ。ストレスへの耐性はアレルギーで例えられるコップに溜まる水と大体同じだと思う。違いは自分でコップを傾けて水をこぼすことができるところ、コップの大きさを変えられるところ。溢れたら日常生活に支障が出てくる。わたしは注がれる水が多いというより、元々コップが小さいのだと思う。そしてコップを傾ける術を知らない。

何をしているときに安らぎを感じるのか考える。最近よつばと!を読んでいる。ぷっと笑ってしまうし、誰も見返りを求めない「愛」という感じがする。子供は特に好きというわけではないし、満たされた人間関係や日常には劣等感を感じるけれど、よつばと!はなんでかそういう自己投影とは切り離して読める。「幸せってこういうことだよな~」と純粋に思える好きなマンガだ。

今は休んでいるけれど、通勤の30分間運転しながらひとりで歌ってるときすごく楽しいと感じる。新しいCDを手に入れると1曲目から流して聞くことに専念したりするけれど、歌う用のプレイリストを作ってそれを結構な音量で流して歌う方がいい。音楽を聴くのが好きとは堂々と言いづらいけど、歌うのが好きとは思う。それでもやっぱり上手くないから堂々とは言えないな。声の調子が良かったりすると「まだ着かなきゃいいのに」と思うけど、運転自体は嫌いなのでドライブしようという気にはならない。運転しなれた道じゃないと歌うことに神経を使えない。信号待ちのとき音漏れを気にして中断させるから、交通量が多い時間も嫌い。遅番で帰る時間だと暗くて車も人も少ないからベスト。また毎日そんなことがしたいな。だんだん疲弊して声も出なかったり、涙で曇る視界を拭いながら運転することが増えてきて今に至ることを思い出した。二ヶ月くらい同じCDを入れっぱなしにしていた。いしわたり淳治が「鼻歌が自然と出るのは気分のいい証拠だ」というようなことをエッセイに書いていたような気がするけど(違う人だったかもしれない)、その通りだと思うし、そのような気持ちでできるだけ長くいれたらいいなと思う。

我が家のねこにかまう時も癒やされる。兄弟で捨てられているのをわたしが一匹選んで連れてきたから、わたしのねこという感じがする。彼に手をかけることは「愛」という感じがする。何も求めず期待せず「ただ健やかに幸せに一緒にいてほしい」というそれだけの気持ち。毛や舌の手触りや体温も純粋に心地いい。ただ実際忙しいとか起き上がれないとかを理由に母に世話してもらっているところもあるから、そういう時は罪悪感も感じてしまうかも。甘えん坊だけど甘えベタで、人の顔色を伺いビビりで照れ屋なやつなので少し心配になる。もっと楽にしていいんだよと言いたくなる。少しわたしに似ている。

最近の安らぎ、すぐ思い浮かんだのがこれらだった。本当はもっとあるのかもしれない。共通するのは「快い感情だけ」というところみたい。そんな時間や回数を多くすれば、コップを傾けることができれば、今より生きやすくなるんだろう。何をするにしても相反する気持ちというか、「でも」「だって」「~だったらどうしよう」「~でなければいけない」という気持ちが起こってしまう。そして結局酒や薬、食べる、眠るなど自分をぼやかしたり誤魔化すことに逃げてしまっている。それらも「趣味だ」と言い切ってしまえれば、他人に迷惑をかけない限り心身を損なわない限り構わないのだろうけど、やはり素直に好きで楽しいとは思えないし実際心身を損なっている。損なうためにしてしまう部分もある。罪と罰なんて大げさな言葉だなと思っていたけど、日常的に頻繁に罪を感じて罰を求めていると気づいたのがつい最近だ。罪とは「してはならない、正しくない行いをすること」らしい。その「してはならない、正しくない」を決めているのは誰だろう?気付いたのだったら、もういい加減許してもいいんじゃないかと自分に言い聞かせてみる。悲しいことにこれから先、「わたし」でなくなることはないのだし。

 

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