南国の肌

ココナッツオイルを肌に塗るようになってから調子がいい。キメが整ってもっちりしてきたような気がする。顔の肌は比較的安定しているけど、身体はまだまだ触るたび見るたびに憂鬱だ。アトピー体質で、これでも昔よりだいぶよくなった。でもこの劣等感のせいで夏が嫌いだし、お風呂や身体を触られることがとても億劫だ。本当は楽しみたいのに全然楽しめないのは結構悲しい。外的要因よりも、ストレスや口にするものに原因があるのだろうと気付いてはいても、ずっと改善できないでいる。ここにも「分かってほしいけど分かってほしくない」「受け入れてほしいけど自信がない」とかそんな気持ちがありそうだ。

わたしは料理に使うよりスキンケアに使う方が使いやすい。食用油と思うと高いけどスキンケア用のオイルと思うと許容範囲だし、もともと使ってるソンバーユよりずっと安い。今の時期は白く固まっていても、肌に乗せるととろりと溶けてベタベタにならず使いやすい。LUSHのマッサージバーを思い出す。(あれはとてもエッチな商品としか思えない)身体から南国の浮かれた甘い香りがするのにははじめ気後れしたけどすぐに慣れた。人工香料よりは気持ちいい。他人はあまり感じないようだし。

食用には、トーストにバター代わりに塗ったりカレーに混ぜて使ったりしてみたけど、身体のココナッツの香りを感じながら、ココナッツの香りのするオイリーなものを食べるのは結構きびしい。嫌いじゃないけど・・・量の研究がまだ必要。もっと有効活用して洒落た料理にでも使ってみたい。スイーツに使うのはとてもおいしそうだ。

 

今週のお題「愛用しているもの」

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言い訳

ブログを開設するのは何度目だろう。ブログ、SNS、個人HPなど形を変えながらかれこれ10年以上インターネット上に居場所を作っている。おかげでブラインドタッチができるようになった。あまり役に立ってない。昔のアカウントのいくつかはきっと電子の海を漂っている。不安。

 特に友達もいないのにこういうものを辞められないのは、簡単に承認欲求を満たせるから。それ以上も以下もない。わたしはいつだって誰かに認めてもらいたい。誰だってそうだ。

最近精神を病んでいて自分の心と向き合うことが多いのだけど、わたしのその気持ちがいかに自分を殺していたかということに初めて気づく。取り繕っていることに全く気づかず、自分の意思を持たない人間になってしまっていたみたいだ。取り繕ろうことに疲れてはある日突然大爆発を起こして、周りの人を動揺させることを繰り返してきた。それはとても空虚な気持ち。

「人によく思われるとうれしい」が「人によく思われなくてはいけない」と思うようになり、「人によく思われなくては、わたしの存在の意味がない」と思うようになっていたらしい。23年間無自覚だったというのが恐ろしい。でも思い当たる節はたくさんあって、何より嫌われることが怖くて拠り所を見つけては依存し、学校生活も人間関係も続かず、問題行動を起こしては愛情を試すようなことをして、でもふと立ち止まると自分がなにをどうしたいのか分からない空しさ。ボーダーの典型ですほんとう。それでも年齢と共に環境も変わって落ち着いてきたように感じるので、今回こうして心と向き合うのはいい機会だと思えている。このまま人生を歩むのはあまりに絶望的だ。

こんなことに気づかせてくれたのが今の主治医なので、とても感謝してる。死ぬまで診てほしい。彼女(女医さん)は「医者は病気を治せないけど、わたしは治す手伝いをする」と言っていて、はじめは理解できなかったけれど今はよく理解しているつもりだ。でも超しんどい。眠剤抗不安薬もくれないので、ほんとう衰弱する。幸いわたしは今自殺願望は強くないし、解離もないし、家族も理解してくれているからなんとかなっているけど、死にたいMAXでこんなことされたらとても耐えられないだろうと思う。そして昔のわたしだったらまったく理解できなかった。なんて言いながら耐えられず市販薬乱用したりしていたけど。

ぜんぶ受け入れること、認めること、寄り添うこと らしい。

 うつ状態が少しよくなって、時間を持て余すことがたまにある。少しでも頭を使う練習になったらいい。これを書くにも集中力が持たず1時間半以上かかってしまった。

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