血液

 


私の血は、酒を飲みすぎて赤血球がでかくなり、細い血管に通らないんだそう。夏に血液検査してそう言われた。酒を控えれば改善するだろうがうまくそうならない。検査からしばらく経つけど、寒い季節になって異常なほど指先が冷える。一度冷えたら夜風呂に入らない限り温まらないから、まあ改善はしていないんだろう。一昨日の診察で夏ぶりに採血されて思い出した。

手先足先、脳の細い血管にも血が巡ってない。実質そのせいで貧血状態らしい。力無い手足、回らない頭、そんなのおばけじゃないか。私は呪いにとらわれ呪いにすがることしかできずなんの起伏もなくふらふらと日々をさまよっている

iPhone事変

丸5年使ったiPhoneと今日でお別れ。機能になんの不満もないけど、バッテリーがいい加減おかしくなってて、充電器常備しないと使えなくなってしまった。突然死んでしまう前に新しくしなくてはと思った。あとは新年を迎えてひとつ歳をとって、無性に過去のデータを全部整理したいと思った。

携帯を持ち始めて10年以上経つけど、5年も使うなんて相当長い。交換修理も一切なかったし、毎日それなりに酷使していた。本当に愛おしくてかわいいこのiPhone5sとさよならと思うとちょっと泣ける。私がもう忘れ去っていた色んなことを覚えていてくれたね。大好きありがとうお世話になったよ。あなた以上はこの先いないんではないかとさえ今は思うよ。

iPhone内の5年分のデータ、PC内の携帯持ち始めたくらいからのデータ、整理するために大体目を通した。一番心がざわついたのはやっぱり休職中のあたりの2015年夏から2016年春のカメラロール。そもそも家でスマホいじるしかしてなかったから色々残ってるのは当たり前だけど、たくさん苦しんだし新しいことも覚えた時期だった。人生の転機。今の自分も決していい状態とは言えないけど、あの時とは全く違う。あれがあったからこその今だから、やっとここまできた、でもまだここ。それでもここ。そう思うとこれから先の不安より期待の方が大きくなったりもする。何かは絶対あるだろうけど、まあ何があってもなんとか大丈夫なんじゃん?という心持ち。今これは朝の寝起きのベッドの中で書いているから素面。昨日友人からもらったIKEAのサメのぬいぐるみを抱えている。

デジタルのデータはかさばらない分全体像が見えなくて、膨大なデータを整理したはずだけど実感が湧かない。なんとなくiPhoneの物質的な重量が軽くなったような気はするけど、それは錯覚だし。このiPhone事変が落ち着いたら、次は目に見えるところに手をつけたい。とりあえず銀行に行ってお金の把握と(通帳を無くして数年そのまんまにしている)、腕時計の電池を交換してベルトもかえる。服とか本とかはすごく億劫だから一番最後にしようそこまで辿り着くかも怪しい。

2018年は完全に停滞の時期だった。変化を恐れ視野も狭く意地になってその場にしがみついて、年が明けたからといって今もそれは変わっていないけど、少しずつ整理して手放して手に入れて、エネルギーが循環し始めれば自ずと有るべき自分に導かれる確信はある。

2019年もただならぬ予感がしてる。

 

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20171011

12時間勤務×5をした。仕事が終わらないからではなくて、最近はずっと店番をしなくてはいけなくて。時間を経ていくのが作業という感じがした。決まった時間に起きて決まった時間に休憩して決まった時間に帰って決まった時間に寝る。勤務形態自体は特別初めてしたことでもないし、体力的な負担はあまり感じなかった。ただこれが延々と続くと機械になるなと思った。機械の状態で日々を過ごすことに意味はあるのかと考えだしたら一番に恐怖感が出てきたから、自分はやっぱり日々に何かを求めてるらしい。

最近は何も予定がない。予定を作ら(れ)ない。人とも関わらない。人の話を聞きたくないし、自分の話もしたくない。でも少し寂しい。でもお金がたまる。何か満たされないけど、何を求めているのか分からない。仕事を機械で過ごしているとふとある休日が長すぎてとても辛い。働いてた方がいいのかな。何もしたくないけれど何もしない状態で丸1日を過ごすのは結構しんどくて、機械の日々で生活リズムができあがってしまってるからだらだら寝ることもできなくて、外に出る気なんてさらさらなくて、だらだらスマホいじって家族の目を盗んでは酒飲んで酔って眠くなったら寝て、そんな風に過ごしてる。力がないわけではないけど、どこに向けたらいいのか分からない。

今日「あんたこれだけは食べなさい」と小松菜と油揚げ、人参、ちくわ、胡麻の炒め煮を母が出してくれた。全然食べていないように見えてるらしい。前ほど必死に料理をしなくなって買い食いが増えていたから、全然食べていないように見えてるらしい。ありがたくおいしく頂いた。低糖質縛りをすると料理は完全に作業的になってしまってな、おいしくないんだよ。うまみがない。母の料理はおいしくて少しジワっとした。胃の満たされ度と血糖値上昇による満腹感が完全に分離してしまってよく分からなくなってる。胃なんて空っぽのはずなのに、そこに突然ポイッと食べると血糖値がすぐさまギュンギュン上がってくのが分かっておなかいっぱい…と思って自作の弁当を捨てたり、生理前とかは血糖値の限界がないみたいに(あとソッコー下がる)胃袋がはちきれそうでも明らかにおかしいものを食べても足りない足りないとゾンビみたいになる。不快だ。女の呪いだ。この通りのやる気の低下で運動は前より少なくなってるけど、一応継続中。というかもう米食べるのとか怖くて無理。でも暴発してチョコやグミを食べる。摂食障害寄りの思考になってる自覚はある。

また何か、ネイルのようにダイエット初期のように、打ち込めるものがあれば少し日々にハリが出るのか。何か自然に乗っかれちゃうようなものがそのうち都合よくあるんだろうか。今はお金を貯める時だと割り切ってこんな感じで過ごしていけばいいのだろうか。結局行き着くのは「幸せとは」だ。私はどういう時に生きていて良かったと思うの、何をよかったな~とかうれしいな~と感じるの。何度寝て起きてもすぐに思い浮かばないのは、やはり機械になり腐って、刺激不足なだけなんでしょうか。

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糖質制限3ヵ月半メモ

ついに開始時から-10kgになった。米の袋ひとつ分手放したかと思うと感慨深い。でも実際そんなに見た目が痩せた実感はなくて、元々ルーズな服ばかり着ているせいもあるけど、前よりちょっとゆるいな程度。私は元々が重めだから、誰でもそう簡単に体重が減るとは限らないはず。現に私も最近は最初ほどは体重が減らない。

元々糖質が高いものほど好きだ。カップ焼きそばが大好きでひどい時には1日にふたつ食べたりしていたけど、あれってやばい、カップラーメンの倍くらい糖質ある。カップ焼きそばひとつ食べるだけで、スーパー糖質制限中の1日の上限に達してしまう。今でもほおばりたい欲求はあるけど考えると恐ろしい。ひどい食べ物ほど好きだった。1枚1000kcal超えの外国の板チョコをペロっと食べたり、おにぎりサイズのマシュマロを何個も食べたり、それもそれで間違いなく幸せなんだけど、それらを止めたら今までずっと引きずっていた不調や不快感がなくなったから、そういうことなんだ。食べ物に限らずその場しのぎの心地よさをできるだけ手放していきたいのだ。その場しのぎは後で必ず利子つきのツケを払うのでね、穏やかに過ごしたいんだよ私は。

ただなんとなく問題は感じていて、いろいろ条件が重なったのはあるだろうけど、昨日友達とケーキを食べたら体がすっかり受け付けなくて、食べた直後から動悸頭痛嘔吐下痢に襲われて大変な思いをした。そろそろ普通食も入れながら痩せることより保つことを考えた方がいいなあとは思っているけど、まだ多少は我慢してる状態だからタガが外れてしまったら元に戻るのは目に見えてるし怖い。あとは栄養の偏り。貧乏糖質制限だから、ほぼ決まったものしか食べてない。ここはいつも見てもらってる婦人科心療内科の主治医に相談してみようかと考えているけど。

多分新しく何かを始める時、最初の努力はだんだん習慣になって習慣はそのうち日常になる。私の糖質制限と運動ははじめの1ヵ月が努力が必要で、モチベーションが必要だった。それ以降は習慣になって、毎日のやることリストに入ってやることが自然になる。そこから2ヵ月で日常になって、やるのが当たり前になって「やらないと気持ち悪いけど、まあたまにはやらなくても問題ないな」ってそんな毎日になった。何にでも当てはまるんだろうと思う。やっぱり新しいことを始めるには少し自分に余裕がないとできなそうだ。私は始めてしまえば割と続けられる方だけど、始めることがとても苦手。余裕ないもん。タイミングが大事だしある程度待ってても向こうから来る。

最近guで安いランニングシューズとトレーニングウエアを買った。今まで有酸素運動はウォーキングをしていたけど、仕事終わってから夜時間かけて歩かなきゃ効果出ないのが嫌になってきて、涼しくなるし走ってみようと思って。同じ距離でも時間短縮になるし。歩くならTシャツジーンズでも別に違和感なかったんだけど、ジーンズで走るのはちょっとね。安く買えてうれしかった!モチベーション上がる!普段一切走ることなんてない状態で試しに何度か走ってみてるけど、3キロを30分たまに歩きながら、って感じです。散々筋トレしてたつもりだけど、使ってない筋肉が筋肉痛になって、肺が苦しい。でも歩くよりずっと体が温まっていいかも。休憩入れずに走れるようになりたいなあ。有酸素運動の良いのところは気分のリフレッシュになるところ。くたくたで疲れた日に限って、ちょっと静かな外歩くと心も体も軽くなるのがとても不思議体験だった。心と身体についてはまだまだ知らないことがたくさんある。私の心と体の探求は死ぬまで続く。

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2016年を振り返る。

2015年の8月に、表面上は特になにもなかったけど、20数年間溜めてた膿がだんだん誤魔化せなくなってきたらしく、「無理…」って思って仕事を休んで、通院しながら8ヶ月間でデカくて痛いオデキを限界まで育て育て爆発させ膿だの血だのだばだば撒き散らして、出し切って収束して、傷も乾いてきたかなってところで、まあまあなんてことなく仕事に戻ってから1年とちょっと、毎日それなりに悲しいこともムカムカすることも葛藤することもあるけど、多分今が今まで生きてきて一番元気だ。そしてそれが1年前からずっと更新され続けている。もう半年以上経つけれど、振り返ってみる。

何が一番変わったかというと、自分が何を好きか・嫌いか、何をしたいか・したくないか、いちいち自分の気持ちに目を向けて気付けるようになったことだと思う。顕在意識というのは本当にアテにならない。思考はアテにならない、感覚の方がずっと素直でプレーンでシンプルだ。信用ならないならその理由を自分に聞けばいい。生き方が定まってきた。

 

【一月】世の中の(家庭内の)年末年始の騒がしさが嫌で仕方なくよく眠っていたし夢日記を書いていた。「仕事も忙しい時期なのに私は…」という後ろめたさもだいぶあった。「運転したくないし、そもそも運転が必要な生活をしたくないし、まず生活をしたくない」と免許の更新をひたすら渋るも、月が変わる前になんとか更新した。朝起きて夜寝たり、外出したりができるようになってくる。ホ・オポノポノとかインナーチャイルドの本を読んで鵜呑みにしていた。

【二月】病院から復職の話が出てくる。ツタヤディスカスで近所のレンタル屋にない映画をたくさん借りられて楽しかった。休職して以来初めて、少し遠くに出かけて一日中歩き回り人と話すということをし、体力に不安を感じる。

【三月】短時間から復職。案外仕事はできたし楽しさも思い出せた。周囲も実際どう思ってるかは分からないけど温かかった。後ろめたいのは自分だけだった。

【四月】多肉植物にはまる。日に日に変化していくものに生命の神秘を感じる。職場の対人関係はまだヒリヒリ気を遣っていたようだ、今思うとそんなの要らなかったなって。

【五月】「復職できたら遊んでやってもいいよ」と言われたので好きな人へ会いに札幌へ。とても意味のある大事なイベントのように思えたけれど、場所とか日程とか費用とかそんなのは関係ないと思い知る。もちろん楽しかったけれど、好きな人はどこにいても好きな人なのだ。場所なんてなにも関係なかった。一人で知らない土地に行くというのはいい経験だった。スリルと興奮を味わった。

【六月】病んでる間に仲良くなったカワイイ子と遊ぶために仙台へ!ジャストで気の合う友達と過ごす心地よさを知る。初めてシーシャを吸ってお酒を飲んで行きたいところへ振り回してガイドしてもらって、大人の自由が効く遊びってこういうことなのかと。新しい遊び方を発見して幸せだと思った。初めてのIKEAはとても魅力的だった。ちっちゃいことだけど、自分は自由なのだと実感したりして。

【七月】仕事に充実感を感じる反動で、ふと休日にすることがないと過剰服薬をしていた。これはもう癖なのか、治らないのか、暇を作るとこういうことをしたくなるようになってしまったのかと戸惑う。

【八月】ポケモンGOに勤しむ。仕事は楽しいけれど、人員による自由が効かないことにヤキモキして、今自分がしたいことは何かと初めて本気で考える。「つまんねーから!」という職場への反発もありつつも、「今までずっと趣味でやってきたネイルを勉強してみたい」という気持ちに気づいてからは、学校の資料請求・見学など早かった。自分でしてみたいと思ったことに対して初めてひとりで行動を起こしたと思う。

【九月】貯金を使い果たして10月の試験に向けて、週2の休日には1時間以上かけてネイルの学校へ通った。試験を受けるのにモデルが必要で、職場が同じネイル好きの友人へお願いすると快く了承してくれて、本当にありがたかった。仕事と学校とモデルさんとの関係の日々が始まるも、過剰服薬もできず、メリハリのある日々で、忙しいながら健康的だった。

【十月】ネイリスト技能検定3級受験。練習するのに材料費交通費休日を全て使い、関わる人間関係も増えていっぱいいっぱいへとへとだった。でも辞めたいとは思わなかった。時間の空きがまったくないから、過剰服薬が頭をよぎってもできなかった。学校は先生、教室の雰囲気もリラックスできる場で(だからそこに決めた)戸惑いながらも地に足がついてる感覚を持ちながらできた。モデルさんも楽しんでくれているようだった。試験はダメかも、とガチガチに緊張しつつも「ここまで自分ひとりで選んでこれたんだ、緊張することを選んでまでも今やりたいことがあるんだ」と実感すると楽しくて幸せで満たされた気持ちになった。

【十一月】検定合格。人生で初めて自分だけの力で進めた実感を持てた。自信を持つ大きなきっかけだったように思う。次の試験に向けて練習を始めたかったけれど、仕事も繁忙期、気も抜けかけてて一度離れようとしたところ、次私が受ける予定の試験のモデルをお願いされて爪を貸すことに。適度に一息つけて、適度に関係と予定があり、モチベーション的にはよかった。仕事は相変わらずあまり楽しくなかったように思うからなおさら。人間関係が疎ましくなって一人になりたいような気分も始まる。

激動の1年だった。自分は変わったんだという実感が実際行動によって証明されているようだった。好きな人も家族も、安心して応援してくれたのに心からの安堵感と感謝を覚える。生きていく方法を具体的に学んだような、そんな1年。「こういうことを繰り返していくのか、大変だな、疲れるな、止めたいよ、でも幸せってこういうことなのかも」って思わせてくれた、それを選んだのが自分だと思うと、「自分の人生を生きている」実感につながっていった。自我を確立した1年とも言えるのかも。

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